ターザンの呟き・・・ ( ̄ε ̄ )
ようこそ!! 武庫川ユニオンの旬なニュース&トピックスを配信いたします。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
労働福祉会館の廃止が可決された日は口惜しくて悲しくて情けなくて
 尼崎市議会は、市が提案した労働福祉会館と労働センターの廃止を可決しました。これで、来年3月末で働く者の町尼崎から労働者のための施設が消滅してしまいます。労働福祉会館は戦後すぐ労働者の要求で労働会館として木造で建設されました。その後昭和41年「働く市民の福祉の増進と教養文化の向上をはかる」ことなどを目的に建設されました。こうした会館は当時の地域労働組合の人々が大きく関わってきました。労働福祉会館は、「ろうかん」として市民から親しまれて、尼崎のシンボル的な存在でもありました。私自身、2年前に尼崎市の廃止の方針を聞いたとき正直信じられませんでした。なぜ廃止し売却されてしまわなければならないのかと。同時に、私たちの運動の力でこの提案はつぶすことができると思っていました。一旦は押し戻し今年の3月末での廃止は止めました。しかし尼崎市はしたたかでした。反対運動内部を分断し、最初は反対であった尼崎の最大の労働組合センター連合を賛成への方向転換を果たしました。
 労働福祉会館の利用者は確かに労働組合だけではなく、地域の住民や諸団体の割合が増大していました。利用率も当初は56%であったものが、26%になっています。しかしこれは極めて利用率の少ない部屋全ての平均で利用率の高いへやは50%に達していました。祝日のホールは90%という状態です。減少したといっても年間のべ24万人が利用し尼崎市内では最大の利用者を誇っていました。
 労働福祉会館は阪神大震災にも耐えてきました。老朽化したといっても補強改修をとおしてまだまだ現役で役割を果たせる会館でありました。労働センターに至っては労働福祉会館の15年後に建設さ、私たちを含め労働組合の事務所としても活用されてきています。老朽化は全くのウソです。尼崎市にはまだ戦前の公共施設が使われているほどです。
 尼崎市と利用者、市民との話合いでこうした論点に対し何ひとつ納得できる理由を聞くことができませんでした。稲村市長は公約で市民参加、政策立案段階で複数案提示などと言われてきました。しかし少なくとも労働福祉会館問題では、問答無用でごり押しされました。私たちは使用料を支払って労働センターに入居しています。しかし労働センター廃止後の事務所問題に関しては何ひとつ提案がありません。本体なら施設をはいしするのであれば、廃止後の問題点に関し、利用者、そして入居者の理解をえるのが当たり前の道筋です。
 私たちは尼崎市の廃止理由は破綻していると言ってきました。事実市議会においてもその質疑を聞いていると一部保守会派以外は、全て問題点の指摘をしていました。ひょっとしたらと思った程です。しかし採決になると、なんの根拠もなく賛成にまわり、27対12で可決してしまったのです。
 一方尼崎市は市役所南に市役所機能と中央公民館そしてホールを備えた複合施設を20数億円をかけて建設するというのです。財政難だから労働福祉会館を廃止するとの方針とまったく相容れないと言わざるを得ません。
 尼崎市や市議会に恨み辛みをいっても始まらないことはよく分かっています。根本的には労働運動の急速な弱体化だろうと思います。まだ労働運動がまっとうに機能していれば、こんな理不尽な提案は通らなかったし、尼崎市も提案すら出来なかったと思います。労働運動や住民運動が嘗めきられた結果です。事実私たちは勝利することができませんでした。この事実は受け止めざるを得ません。しかし、このまま敗北だけする分けにはいきません。市議会で決まったとしても市民がそして私たちが納得したわけではないという事実は残ります。なぜなら一切合意しないまま市議会に逃げ込んでしまったからです。今でも労働福祉会館の周辺には「残そう労働福祉会館」のノボリは翻っています。
 市議会で可決という新たな情勢の下で私たちの主張をいかに継続していくか智恵を絞っていかねばなりません。みなさんのご意見をお寄せ下さい。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。