ターザンの呟き・・・ ( ̄ε ̄ )
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労働福祉会館が閉館 労働運動にとって屈辱の日
 2013年3月31日に尼崎市立労働福祉会館と労働センターは廃館となった。尼崎市の職員の手により労働センターに玄関に掲げられた「労働センター」の看板が引きはがされた。労働福祉会館閉館後まだ3日目。メンテがなされない会館の周りには落ち葉とゴミが目につく。人が住まなくなったビルは急速に朽ちていく。それでも私たちは、2月市議会に複合施設の建設までは、貸館機能を残すべきだと陳情し、稲村市長にも要求してきた。
 尼崎市は私たちにホール機能等を当面のあいだ残すと回答し、市議会でも同様の答弁を繰り返してきた。しかし予算措置がなされないとして4月1日から閉館とし、5月市議会で暫定予算を組み、7月頃から再度一部の貸館を開始させると説明してきていた。

 2013年3月31日は、尼崎の労働界にとって屈辱の日となった。労働福祉会館の前身は労働会館だ。1951年尼崎市長選挙で阪本勝市長が誕生し、1952年尼崎総評が結成された。結成直後の尼崎総評は阪本勝市長に要求し、現在の場所に木造の労働会館が建てられた。1966年に現在の労働福祉会館に建て替える時には、当時の労働組合は、市民会館にしようとする勢力と闘い労働福祉会館として建設してきたのだ。その先輩たちが営々として築き上げ守り通してきた労働福祉会館を私たちは守り抜くことができなかった。労働運動の力量低下を白日の元に晒したともいえる。今は、「残そう!労働福祉会館」と記されたノボリがたっている。

 尼崎市 曰く「旧労働福祉会館」を土・日にホールだけ利用できる??
 4月3日、労働福祉会館の存続を求める会の代表者に尼崎市より話し合いの要請があった。再オープンに向けた具体的な協議の場として話し合いに応じた。ところが、提案された内容は、私たちの予想を見事に裏切るペテンとしか言いようのない内容であった。「当初予定していた複合施設の多目的ホールの供用開始時期が遅れること等から、旧労働福祉会館の大・中・小ホールを土曜日・日曜日に暫定的かつ限定的な利用を行う」というのだ。これは私たちの要求内容と全くことなり、何の意味もない。話し合いを続けられる次元の問題ではなかった。また市議会での答弁とも全く異なるものであった。稲村市長は何回私たちをだませば気がすむのか。ただ呆れかえる回答であった。
労働センターの組合事務所を残せ
 労働センターの貸館問題と労働組合事務所の問題は、労働者福祉協議会、連合尼崎、全国一般
などで「労働福祉行政の充実を求める連絡会」と協議している。尼崎地区労・ユニオンも連絡会のメンバーとして話し合いに加わっている。
 尼崎市は、「労働センターで事務所を9月末までとする。10月1日以降は出屋敷のリベルの空き店舗を間仕切りして事務所にする」という。出屋敷のリベルは、尼崎市の駅前再開発事業で作られたが、今は入居者がおらず、閑散としている。駐車場も駐輪場もほとんど活用されていない施設だ。そこに「しごと支援課と労働組合事務所」を入れるということらしい。おまけにリベルは阪神電鉄所有の施設だ。体よく行政施設から労働組合を追い出すという考えであることが明白となった。
 私たちは、労働福祉会館よりも10年新しい労働センターの事務所から追い出されなければならない理由を見いだせない。尼崎市に問うても応えられない状態が継続している。
 尼崎市は、何千万円の予算を用意して再開発に失敗した出屋敷リベルの旧店舗を改装し、しごと支援課と労働組合事務所を移転させるという。窓もない穴蔵を事務所にしというのか。労働センターはまだまだ充分利用できる。改修費も必要がない。尼崎市の財政からみても事務所機能をやめる理由は見いだせない。
 尼崎市の施策を理解することは無理だ。無理を通せば角が立つ。時間をかけて真剣に議論するべきだ。
市民と共に歩む稲村市政はどこに行くのか。
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