ターザンの呟き・・・ ( ̄ε ̄ )
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尼崎・戦後労働運動の終焉?
 労働福祉会館と労働センターは、2013年3月末で廃止が強行された。尼崎地区労・武庫川ユニオンが入居していた労働センターも9月末で閉鎖されてしまうことになった。様々な闘いを繰り広げてきたが、結局敗北した形になった。悔しさで一杯だ。労働福祉会館は1966年から労働センターは1980年に完成した。これらの施設は当時の地域の労働組合が労働組合活動、労働者福祉の拠点として尼崎市に要求し実現させてきたものであった。もちろん両施設は労働組合のためだけではなく、勤労市民の文化・教養・などの活動の拠点としての役割を果たして来た。「ろうかん」といえば尼崎市民なら誰でも知っていた。こどものころから映画会や演奏会などで親しんできていた。署名活動をしていたら様々な思い出が語られた。尼崎市の廃止の理由は、老朽化・利用者は労働組合から近隣の市民に変化したといった。老朽化施設は他にもいくらでもあった。市議会の委員会審議で明らかになったことは、労働者福祉行政の転換が議会でかなり長いスパンで合意されてきていたことだった。市議会への陳情で保守系議員から「(廃止は)もう決まっていることだ」と言い放たれた。
 企業は労働組合が嫌いのようだ。憲法、労働組合法で認められても労使の行政と労働組合の攻防が続いてきた。これまで尼崎での幾多の攻撃にも労働組合の力が労働福祉会館・労働センターつぶしの提案すらできるような状況ではなかった。ところが、今回は、かれらの永年の念願を実現させてしまった。尼崎地区労が利用者に呼びかけ「労働福祉会館の存続を求める会」を結成し、市議会陳情、大衆集会、抗議行動など展開したが、圧倒的な広がりを作り出すことは出来なかった。自分の気持ちを形に表すことが苦手なようだ。廃止が決まってから多くの意見が寄せられたが、時既に遅しであった。私がもっとも残念だったのが労働組合の態度だ。反対勢力は少数でしかなかった。労働組合は自らの権利だけではなく働く者の利益をして闘わねばならない。しかし利用者がこわごわ闘いに立ち上がったにもかかわらず、知らぬ存ぜぬを通した。これで勝てるはずはない。完全につぶされてしまった。抵抗なくして何も生まれない。
 労働組合は尼崎市の再開発事業の失敗の結果生まれた「ゴーストタウンのようなシャッタービル」といわれているリベルに移転することになった。
 私は思う。尼崎における戦後労働運動は労働福祉会館と労働センターの廃止をもって終焉を迎えた。ここから新たな再出発をすることを決意したいと思う。市民、労働者の立場に立つことのできない組織は朽ちるしかない。森で朽ち果てた樹木から新しい芽が生まれ出るように、この現実から新しい出発をしたいと決意した。悔しいがもう後戻りはしない。前を向いて行こうと思う。
 今は引っ越しの雑務に追われているが、新事務所とともに再出発を誓いたいと思う。
 新事務所の住所はトップページに記載しています。
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